تسجيل الدخول「おえっ! おえっ! 藤原っ!」
「う……ううっ……」
聞きなれた野太い声に、藤原が目を覚ました。
ぼやける視界の中に、巨大な石仏の様な彼、山本健太郎が映った。
「健か……」
「おぉ、やっと気ぃ付いたんかえ、よかったよかった……そやけどお前、寝てる間もえらいうなされとったぞ」
「うなされてた……」
「おぉ」
「俺が」
「おぉ」
藤原が勢いよく起き上がる。
アニメのポスターで埋め尽くされた六畳の部屋。
間違いない、ここは健太郎の家だ。
「ふううっ、心配かけよってからに」
大袈裟にため息を吐き、健太郎が畳の上にへたばった。
「いきなり来るや否や、ぶっ倒れよってからに」
そうつぶやきながら、煙草に火をつける。
「俺がここにおるっちゅう事は……やっぱしあれは夢とちゃうんかったんか……」
「何があったんや、言うてみぃ」
「……携帯が一斉になって……みんなが……石像に……」
「やっぱしそれか」
「なんやお前、知ってるんか」
「おうよ。テレビつけたらよぉ分かる」
そう言って健太郎がテレビをつけた。
「……」
* * *
「もう一度お伝えします。本日午後4時頃、大阪市一帯の携帯電話が一斉に鳴り出し、その電話を受けた人々が気を失って倒れるというショッキングな事件が起きました。また、更に驚くことに、倒れた人々が石化し、街を徘徊しているとの事です。石化を免れた人々を襲っているとの事です。
先ほど緊急会見を行った政府の発表では、まだ確認できていない事が多く推測の域を出ないとの前提で、何者かによる電磁波を使った新たなテロ、もしくは……何らかの形で起こった超常現象ではないかとの見方も……難を逃れた人々からの情報提供を元に、今後現状の把握と原因の究明、対策を打ち出すとの事です。
大阪市一帯は現在、石化した人々によって制圧されています。
政府の緊急措置として、制定後初となる戒厳令が発動され、機動隊によって大阪市内の封鎖が始まっております。自衛隊も合流するものと思われます。
一般の方々は危険ですから、決して大阪市内へは立ち入らないようにしてください。
また、今回のこの奇妙な事件の全容が解明されるまで、携帯電話及びスマートホン等の使用を控えるようにとのコメントが出されました。各メーカーにも協力を要請する、との異例の勧告も出されました。繰り返します、本日……」
健太郎がテレビを切った。
* * *
「……」
藤原は口を半開きにし、呆然としている。
「おえっ!」
健太郎の声に、藤原がはっと目を見開き、両手で頬を叩いた。
「あ、あれが……あれが全部ほんまやったっちゅうんかい……」
「そや。この辺はまだ何ともなかったみたいやけどな。そやけどお前ついとったのぉ、携帯持っとらんで。持っとったらお前も、あいつらの仲間入りしとったんやからな。ほれっ」
健太郎が放り投げた缶ビールを受け取り、藤原が一気に飲み干した。
「ふううっ……」
煙草に火をつけひと息吸うと、少し気分が落ち着いた。
「おかげで市内には入れん。まあ、高槻のしがない工場で真面目にこつこつ働いとる俺には関係ないけどな……っておえっ! お前まさか、一人で逃げてきたんかえっ!」
「おぉ」
「おぉやあるかえおぉや。涼子ちゃんと母ちゃんはっ!」
「あ」
藤原が思わずうなった。
「お……お前アホかえっ! 母ちゃんと妹見捨てて来たんかえっ! こ……この鼻糞! 鬼、悪魔っ! 経済至上主義が産んだエゴイストっ! お前なぁ、涼子ちゃんは俺の大事な大事な彼女なんやぞ分かっとるんかっ!」
「電話してみよう」
「アホ! 無事やとしても誰が電話取るねん!」
「いや、おふくろはともかく涼子はああ見えて根性座っとる。気合も入っとる。いざとなったらお前より恐〈おと〉ろしいかも知らんぞ……と言うても携帯にかけるんはやばいわな。おい、固定電話〈いえでん〉借りるぞ」
「お、おおっ、とにかく安否だけでも確認してくれや。ほんでな、涼子ちゃんが出たら俺にも声聞かせてくれや。分かってるな」
「わぁったわぁった」
藤原が短縮ダイヤルを押す。
しばらく呼び出し音が響き、そして涼子の声が聞こえてきた。
「はい、藤原です。ただいま留守にしておりますので、ご用の方は……」
「留守電になっとる」
「居留守とちゃうんか」
「かもな……」
やがてブザーがなり、藤原が話し出した。
「涼子、俺や。無事にしとるんか。もしこのメッセージを聞いたら」
その時、受話器を取る音と共に涼子の声がした。
「お兄ちゃん!」
「涼子か」
「お兄ちゃん、無事やったん?」
「おぉ、まぁ俺は携帯持ってへんからな。それより何や、お前は無事やったんか」
「う、うん。スマホね、会社に行く前に落として、故障してたんよ。仕事終わってから修理に出そうって思ってたんやけど」
「おふくろは無事なんか」
「うん。寝込んでるけど……」
「おえ藤原、ちょぉ寄こせ」
健太郎が藤原から、強引に受話器を奪った。
「涼子ちゃん!」
「あっ、健ちゃん! よかった、お兄ちゃんは健ちゃんのとこにいてるんやね……健ちゃんは大丈夫やったん?」
「ああ、まだこの辺にはやばい電磁波は来てへんみたいやからな。ほんでどない、大丈夫なん?」
「う、うん……大丈夫は大丈夫なんやけど……怖い、とにかく怖いよ健ちゃん。友達もみんな石になって、私に襲ってきて……スクーターで家に着くまで、ほんとに怖かった……」
涼子の震える声が涙声に変わっていく。
それを感じた健太郎が、わざと陽気に話す。
「まかさんかいまかさんかい。しばらくな、とにかく家の中でじっとしとき。絶対外には出んように。あんまり物音もたてんようにな。そんでな、出来るだけでええさかい、玄関にバリケード作っとき。何か知らんけどあいつら、人間見たら襲ってくるみたいやからな」
「分かった……何か、ゾンビ映画の中にいてるみたいやね」
「そやな。そやけどボーっとしててもしゃあない。逃げるっちゅうても女二人、スクーターで脱出は無理や。俺らがな、絶対助けに行くから安心しとき。それから電話はこれが最後、最後にしとくんやで。危ないのが携帯だけやって保障はないんやからな」
「分かった……健ちゃんが来てくれるのを待ってる」
「ほんじゃ、大好きやで、涼子ちゃん」
「うん。私も大好き……」
* * *
涼子が静かに受話器を置き、玄関へと向った。
(健ちゃんが助けてくれる……絶対、来てくれる……)
心に強くそう思い、涼子が玄関にバリケードを作ろうとした。
その時だった。
突然チャイムがなった。
その音に、涼子は体をビクリとさせて動けなくなった。
「だ……誰……」
再びチャイムがなる。
恐怖ですくんだ涼子の足は震え、その場に立っているのがやっとだった。
カシャンカシャンカシャン!
涼子の目の前で、ロックしてあった3つの鍵が全て開く。
そしてゆっくりと、扉が静かに開いた。
開ききった玄関に、人影が見える。
涼子が声をあげようとした。
しかし声にならなかった。
人影がゆらりと動く。
その人影の鋭い眼光が、涼子の体を刺し貫いた。
「ひっ……」
涼子の大きな瞳が見開いた。
* * *
受話器を置いた健太郎は、煙草に火をつけると腕組みし、眉間にいくつもの皺を作ってうなっていた。
「ん~っ」
「おい健、何考えてるねん」
「……ちょと待て……あいつ……いや、あいつはあかん……あいつは……う~ん、あかん、あんましあてにはでけんなぁ……そやけどあんまり贅沢言うてられへんし……人手はいるからなぁ……かと言うて、あんまし多すぎてもかえって統率が取れんか…」
ぶつぶつと一人でつぶやく健太郎に、苛立つ藤原が叫んだ。
「おい健っ!」
「よっしゃ、これでいこっ!」
健太郎が景気よく太腿を叩き、煙草をもみ消して藤原を見た。
「藤原、助けに行くぞ」
「助けにってお前……そない簡単に」
「大丈夫や、まかせとけ。ええ面子も浮かんだ。お前も含めてな」
「殴り込みかける気か」
「そや」
「何人で」
「5人やっ!」
「大丈夫なんかい」
「まかしとれ、俺の愛しい涼子ちゃんの為や。命はったる!」
「そやけどお前、そない簡単に言うけどな、相手は石像なんやぞ? お前、そんだけでかい『なり』してるくせに、俺と腕相撲したらあっちゅう間に負けてまうような屁たれなんやぞ? 100メートルも満足に走れん屁たれなんやぞ? その屁たれのお前が」
「お、お前、ボロ糞やないかえ……」
「いや、そやけどな、俺がまともに組みおうても勝たれへんかったんやぞ。そんなんが何万人おると思てんねん。しかも相手は不死身で」
「こう言う時の友達やないかえ。俺の浮かんだ面子の中には、ホラーマニアの人もいてはる。その人に聞いてみて、とにかく化物に効きそうなもんを片っ端から持っていくんや。ちなみにお前は力があるさかい、鉄砲玉や」
「お前は」
「俺は指揮官やないかえ」
「なんかお前、いっつもええとこばっかし持っていくのぉ」
「まあええやんけ、まかしとけ」
「あ、分かった。ホラーマニアっちゅうたら噂の坂口さんやな」
「そや」
「坂口さんか……ほんで後の二人は」
「坂口さんの妹の直美ちゃん」
「直美ちゃん? お前、女まで戦力にする気なんか? 役に立つんか」
「おおっ、あの子やったらいける。絶対にいける。気合だけでもお前より遥かに上や」
「最後の一人は」
「本田や」
「本田? 本田ってお前、マジで言うてんのか?」
「おおさ。あいつは正真正銘のど屁たれやけどな、その分あのサル、こてこてのガンマニアやないか。そこが狙いや。
……これは内密の話やけどな、あのサルな、ミナミでそっち方面のやつらからな、ほんまもんの銃をよおさん買っとるんや。あいつはあてにならへんけどな、あいつの持っとる銃は役にたつぞ」
「ほんでいつ行くねん」
健太郎がニヤリとした。
「あさってや!」
結局坂口の案が通り、3人は徒歩で藤原宅を目指した。先頭の健太郎はショットガンを手に、体にクロスで巻いている散弾を突っ込み、前方から襲ってくる石像向けて発砲し道を作る。腰にはダイナマイトが巻かれ、囲まれた時にいつでも使用できるようにしていた。坂口は十字架を掲げ、「悪魔の下僕たちよ! 立ち去れ!」そう叫ぶ。そして近付いてくる石像にニンニクを投げつけていた。最後尾を任された藤原はベレッタを手に、石像の足を狙って動きを止める。そうしてる内にようやく、当初の予定であった東三国にたどり着き、物陰に隠れて一息入れた。「ふうううっ……」健太郎と藤原が、汗だくになった頭を振って汗を飛ばす。「おえ、ちょい一服や」「そやな」健太郎と藤原がそう言って、煙草に火をつけた。時計は12時になろうとしていた。「う~ん」坂口は腕を組み、うつむきながらうなっている。「坂口さん、どないかしはったんですか?」健太郎がそう聞くと、坂口は眉間に皺を寄せてぽつりとつぶやいた。「おかしい。十字架も……ニンニクも効かん……」「はぁ?」「このモンスターには何が効くんやろか……」健太郎が溜息を漏らした。
粉々になった石像の残骸の中、直美が鼻歌を歌いながら陽気に突っ走る。「ルンルルン♪ ルンルルン♪」目の前に二体の石像が現れ、直美の行く手を遮る。「おおおおりゃああああああああっ!」直美はすかさず一体の顔面に正拳の三連打をかまし、ひるんだ隙にもう一体の石像に蹴りを見舞った。ボロボロと石像たちが崩れていく。顔面のなくなった石像に、直美は飛び上がって胸目掛けて膝蹴りを食らわした。「楽勝楽勝!」狂喜に瞳を輝かせながら、直美がひた走る。いきなり建物の陰から現れた石像がタックルをきめ、直美がバランスを崩して倒れた。「やるやん、石像」ニタリと笑った直美が、すかさずエルボーを頬に叩き込む。顔面に亀裂が入り、直美を掴んでいた腕の力が緩んでくる。それを直美は見逃さず、膝を何度も腹にぶち当てた。最後に腕を掴んで力任せに握ると、何と腕が粉々に砕けた。「ふうっ」一呼吸入れ、直美が立ち上がる。「動きもとろいし分散してるし、そやけど叩き壊す時の手応えはしっかりあって……やっぱ最高やんか!さあ、ほんだらいてこましてみよか。一遍してみたかったもんね。試さんと絶対後悔しそうやし」そう言って直美が柔軟体操を始めた。そうしている内に、不気味なうなり声と共に新たな石像が現れた。
「分かった。直美ちゃんはフリーの方がええんやな」建物の陰に隠れ、5人が作戦を練り直していた。「当然やん。こんなん、ペア組んだら足引っ張られるん目に見えてるもん。さっきの二人見て、よぉ分かったわ」「ほんだら……俺は藤原、お前と組むわ」「おぉ」「ぼ、僕は?」本田が泣きそうな顔で聞く。「心配すんな、お前は坂口さんと組んだらええ」「う、うん……分かった……」「坂口さんは、それでいいですか」「ああええよ、何とかなるやろ。それよりな、ひとつ問題があるんや」「え……なんですか、問題って」「聖水がなくなってしもたんや。最初に景気よぉ使いすぎた」「は、はぁ……」その時、本田のポケットから携帯が突然なった。健太郎が頭を抱える。「おえ本田、お前何考えとんねん。こんな所に携帯持ってきて、何に使う気やねん」「うん。あのね、宏美ちゃんと連絡取り合うんに持っててん」本田が携帯を手にする。「アホやめとけ、罠や罠や」「大丈夫やって。ほら、画面にも『宏美ちゃん』って出てるやろ」健太郎が止める間もなく、本田が話し出した。「はいもしもし、宏美ちゃん?」
「おえ本田、もうすぐやさかいにな、左に寄っとけ。ほんでちょっとスピード落とせ。そろそろやで……おえ本田っ! 聞こえへんのか! スピード落とせっちゅうとるんや! 左に寄れっちゅうとるんや!」「本田」藤原が本田の顔を覗き込むと、本田は唇を異様に歪ませながら笑っていた。「うひっ……うひひひひっ」「おい健、あかんわ。こいつ、完全に頭飛んどる」「な、何やと……」「うひひひっ……だ、誰にも負けへんで……ぼ、僕が一番速いんや……」東三国の標識が見えてきた。しかし本田は車線を変える事なく、そのままアクセルを踏み倒す。あっと言う間に東三国を通過した。「あ、あかん、キレとる……おい健、こんまま行ったら梅田まで行ってまうぞ」「んなアホな……」健太郎が頭を抱えた。「こんなん、頭吹っ飛ばしたらしまいやんか」言うか言わないか、直美がSIGを本田の頭に向けた。健太郎が慌ててそれを止める。「何すんのよ健太郎、こうでもせんかったらこいつ、止まらへんやろ」「いやいや直美ちゃん、それは最後の手段にさせてくれ」「ほんだらどないすんのよ」
坂口が住む寝屋川から大阪市内に入る近道は、阪神高速守口線である。しかしあえて健太郎は迂回し、再び高槻に戻っていた。それは阪神高速から市内に入ろうとすれば、どうしても一度、わずかな距離であるが市街に出てしまうからであった。街がどの様な状態か分からない以上、リスクは最小限に抑えたかった。目的地である藤原の家に行こうとすれば、北からバイパスの新御堂筋を使った方が危険は少ないと健太郎は考えた。* * *国道171号線で、一旦車を止めた健太郎が言った。「第一関門は新御堂筋〈しんみ〉やな」早朝の肌寒い冷気の中、白い息を吐きながら健太郎が地図を開く。どうして車にナビがついていないのかと聞いた本田は、既に左目の辺りに青い痣を作っていた。藤原ほどではないが、健太郎も何でも便利になっていく流れに抵抗感を持っていたのだ。ボロボロのページを開き、道を指でなぞる。「ここには恐らく機動隊か、ないしは自衛隊がおるはずや。よそん所よりも抵抗が強いかも知らんが、そやけどここを突破するんが一番早いからな。一気に突破したろやないか」「強行突破か」「そや。ちょっと危険かも知らんけどな……最悪銃撃戦も覚悟しとかなあかん。迂回して市街に入って、無駄に石像と接触するんは避けたいからな。気合入れて行こやないか。そやけど、市内から外に出ようとするやつらには警察も目の色変えよるやろうけど、入っていく分にはそない大した抵抗はないかも知らん。ほんで一気に突っ走って東三国、ここで降りる。
――なんちゅうええ女や!憂いを帯びた大きな瞳は、それだけで男を虜にするに十分だった。「な、なぁ藤原くん、あの哀しそうな眼差し……なんか吸い込まれそうにならへん?」「お、おぉ……」二人の視線は直美の体型へと移った。スポーツジムのインストラクターをしている、無駄のない均整のとれた肉体。それでいて服の上からでも分かる豊満な胸が、女性としての妖艶さを醸し出していた。黒髪ショートカットの彼女に、坂口がいなければその場で襲い掛かりたくなる様な衝動を二人は覚えた。「直美ちゃん、久しぶりやないかえ」そう言って健太郎が、直美の太腿を頬ずりしながらさする。その時だった。藤原と本田は我が目を疑った。「な……こ、この変態親父っ……!」言うか言わないか、直美の憂いを帯びた大きな瞳が吊り上がり、素早くすっとしゃがみ込むと、膝蹴りで健太郎の顎を破壊した。そして吹っ飛んだ健太郎の上に馬乗りになると、パンチの連打をボディに叩き込み、最後に立ち上がり全体重を乗せたエルボーをみぞおちに叩き込んだ。「ぐえっ……」この様を見ていた藤原と本田が、抱き合いながら言った。「お……恐ろしい子やなぁ藤原くん……」「お、